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旧街道ウォーク★333

古代東海道の駅路を歩こう! 26 (府中の森〜大 沢〜牟 礼〜松 庵)

日 時 ■ 2008年 5月10日(土)11:00〜17:00頃

集 合 ■ 京王線/東府中駅(駅前広場・大ケヤキ付近)

新宿10:30(準特急)調布のりかえ 東府中10:56

コース ■ 府中の森(東府中駅)〜多磨町<昼食休憩>〜大 沢〜野 崎〜上連雀(三鷹市役所)〜新 川

〜牟 礼〜三鷹台〜松 庵(西荻窪駅)<街道ルート約10km>

その他 ■ 5/10雨天のため多磨駅で終了となりました。
    残りは5月18日()に延期します。

       5月18日(日)西武多摩川線・多磨駅(東口広場)に、12時に集合下さい
        新宿発11:25中央線快速で、武蔵境から西武線に乗り換えが便利です。
        歩き始めてから、昼食休憩をとります。

連絡先 ■ 大竹 亮(旧街道ウォーク代表、NPO全国街道交流会議理事) 

■今回の活動について

 武蔵国の古代東海道を、武蔵国府(府中)から下総国府(市川)に向けて、今回から4回で歩きます。まず前回の続きとして、府中の森から後世の人見街道に沿って歩き、大沢で野川を渡って国分寺崖線を上り、台地上を一路東へ進みます。新川から北東に進路を変え、牟礼で人見街道と分かれて神田川を渡り、松庵に至ります。直線状の道が続き、川を渡る箇所を除き平坦な道で、古代道の特徴が伺えます。

 なお、近年では発掘や研究が進んでいるものの、古代の道筋を正確に明らかにすることは困難です。ここでは、古代道の特徴を考慮しつつ、現在の道に近似して歩きます。このような古代官道推定コースは、江戸時代の街道とはその性格や趣きが異なりますが、新しい発見があるはずです。ふるってご参加下さい。

*    *    *    *

■古代の道について

古代官道奈良・平安の中央集権国家時代には、都から全国に向けて7つの「官道」が整備されました。約16kmごとに駅家が設けられ、幅員612mの立派な側溝付舗装道路がほぼ一直線の最短距離で各地の国府を結んでいたとされています。従来は記録文書から推定するしかありませんでしたが、近年では各地で発掘等による発見が続き、その実態が判明しつつあります。

古代東海道都から海沿いに関東に至る行政圏で、官道の名称でもあります。古代東海道の道筋は時代によって変遷し、初期の道筋は、三浦半島から房総半島へ東京湾を渡っていました。これに対し、相模国府(平塚)、武蔵国府(府中)、下総国府(市川)を経て常陸国府(石岡)へ至っていたのが中期の道筋です。当会では、1999年〜2001年にかけて初期と後期の古代東海道の一部を歩いていますが、今年は中期のルートを探索しています。

■沿道の見どころ

人見街道●府中(武蔵国府)と杉並(大宮八幡)を結ぶ古道。沿道北側の浅間山を本拠とした中世人見氏に由来。

野川●国分寺市恋ヶ窪を水源に、世田谷区玉川で多摩川に注ぐ。国分寺崖線からの湧水を集めて水量が豊富。

大沢水車農家●野川には江戸時代以降、数多くの水車が設置された。現在、旧峯岸家の水車農家を保存公開。

国分寺崖線●野川の北側に続く武蔵野台地南端の段丘。高低差のある崖に樹木の緑が残る都会のオアシス。

出山横穴墓群●野川べりの国分寺崖線に発見された古代の横穴墓。自然観察路と合わせ保存公開されている。

鷹場標石●江戸時代に幕府と尾張藩が鷹狩りをした広大な鷹場があった。2つの鷹場の境界を示す杭が残る。

鎌倉街道●三鷹郵便局から南への調布市境の道は鎌倉街道と言われる。消防研究センター構内に古道が残る。

牟礼神明神社●小高い山の上に鎮座する。小田原北条氏が扇谷上杉氏の深大寺城に対峙して築城し、勧進。

玉川上水●多摩川から羽村で取水し、小高い尾根筋を引いた江戸の上水道。両側の鬱蒼とした樹林が快い。

神田川●井の頭池を水源とし、かつては日本橋川から東京湾に注いだ。深い谷を刻み、北岸には急坂が続く。

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