〈旧街道ウォーク329〉
古代東海道の駅路をあるく 22
(平塚四之宮・相模国府〜寒川〜本郷〜杉久保〜海老名・浜田駅)
集 合■ 平塚駅北口・バスのりば7番(11:30集合)
11:35発 (平60)田村車庫ゆきバスに乗車予定・稲荷前下車
東海道線 東京10:13→品川10:22→横浜10:41→平塚11:16
東京10:23→品川10:31→横浜10:48→平塚11:26
コース■ 四之宮(相模国府)〜前鳥神社→相模川〜一之宮・寒川<昼食>〜本郷〜杉久保
〜浜田歴史公園(浜田駅) (街道ルート約12km)
その他■ 雨、雪の場合は延期します。判断がつかない場合は、主催者までご連絡下さい。
《今回の活動について》
今回は平塚四之宮(相模国府推定地)の東端からスタートし、相模川を渡って寒川を経て、浜田歴史公園(浜田駅)を目指します。初期の古代東海道は、相模(平塚)から東京湾を渡って上総(市原)から常陸(石岡)に至っていましたが、武蔵国の東山道から東海道への編入(771年)、下総4駅の廃止(805年)を経て相模−武蔵−下総―常陸の陸路による経路が成立しました。今回はこのうち中期の古代東海道ルートを踏破するものです。
古代官道は、江戸時代の街道とはその性格や趣が異なりますが新しい発見があるはずです。ふるってご参加下さい。
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《解 説》
古代官道:奈良・平安の中央集権国家時代には、都から全国に向けて7つの「官道」が整備されました。約16kmごとに駅家が設けられ、幅員6〜12mの立派な側溝付舗装道路がほぼ一直線の最短距離で各地の国府を結んでいました。従来は記録文書による推定のみでありましたが、近年は各地の発掘等による発見により実態が判明しつつあります。
古代東海道:都から海沿いに関東に至る行政圏で官道の名称でもあります。足柄峠から関東に入り、相模国府(平塚)、武蔵国府(府中)、下総国府(市川)を経て常陸国府(石岡)へ至る道が中期の道筋です。当会では、1999年〜2001年にかけて初期及び後期の古代東海道の一部を歩いていますが、今年は中期のルートを探索することになります。
古代東海道とは、都から四方に延びる交通路のことで、律令制下では
、東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道の都を起点とした六つのルートと、山陽道の終点太宰府を起点とする西街道とを合わせて
「七街道」と呼ばれていた。
この交通路は、律令国家が諸国との行政連絡のために計画的に設置した道路(官道)であり、都と国府、国府と国府とを結んでいた。
したがって、都からの命令伝達は各交通路の沿線の国から国へと行われ、それらの国々が「道」という広域行政単位となったのである。(柏市史原始・古代・中世編P453)
《地図の説明》
●前鳥神社:相模国四之宮である前鳥神社は「延喜式」神名帳にも現れる古い神社である。また、この辺りは相模国府の東端に位置する。
●寒川神社:相模国一之宮である寒川神社は、建立727年(765年説あり)、祭神は寒川比古命・寒川比女命の二神。
●本郷天満宮
●本郷遺跡:
●浜田駅・浜田歴史公園:後期古代東海道の駅家の1つ。