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旧街道ウォーク325

大山街道(矢倉沢往還) その7 (海老名〜厚木宿〜愛甲宿〜東〆引)

日 時■ 2007年9月29日(土) 11時〜17時頃

集 合■ 海老名ビナウォーク七重の塔前(1100集合)

      小田急線 新宿1000→登戸1020→町田1039→海老名1050

相模鉄道 横浜1020→大和1041→海老名1051


コース■ 海老名〜馬入川(相模川)〜厚木宿<昼食>〜愛甲宿〜東〆引(街道ルート約13km)

その他■ 小雨決行、大雨の場合は9月30日(日)に順延します。判断がつかない場合は、主催者までご連絡下さい。

連絡先■ 大竹 亮(旧街道ウォーク代表、NPO全国街道交流会議理事)     谷貝 等(今回主催)

《今回の見どころ》

 今回は海老名から馬入川(相模川)を越えて厚木宿を通り、大山街道と東名高速道路との交点である〆引を目指します。次々回はいよいよ最終回で、ここから大山に向けて出発する予定です。今回は行程が長いので、天候ならびに状況次第により途中での中断の可能性もあります。予めご了承下さい。

 前回は、最後に国分宿から相模原台地を下り、馬入川(相模川)の低地に入りました。馬入川を越えて愛甲石田からは、いよいよ大山に向けての登りに入ります。この辺りからは、粕尾通り大山道、田村通り大山道などの大山道が大山に向かって同じように扇状地を登っていきます。今回のルートは、馬入川(相模川)、玉川、歌川など河川沿いのルートで、田畑が多い田園地域のウォーキングになります。


《地図番号と解説》

120  古代条里制跡と一大縄:「大化の改新」により東西南北6町(約650m)の方形に整地された水田を農民に貸し与えた「条里制」の跡が残り、東西南北の基準線は「一大縄」と呼ばれ、大山街道がここを通る起源となった。

121 厚木の渡船場:海老名河原口と厚木天王町との間の渡船跡。料金一人1012文。

122 厚木宿:江戸から13里、北から上宿・中宿・下宿の三宿を合わせて約330戸(天宝期)の宿で、大山道の他、平塚と八王子を結ぶ八王子道と馬入川(相模川)の水運により栄えた。

123 厚木神社:創建は天延年間(10世紀後半)と伝えられ、古くは牛頭天王社と称し付近は天王の森と呼ばれていたが、明治5年に厚木神社と改められ厚木の総鎮守となった。

124 渡辺崋山来遊記念碑:天保2年(1831)渡辺華山が投宿した旅籠「萬年屋」の跡。崋山は、この地で著名人・知識人と交流を深め、厚木の景勝を描いた「厚木六勝絵を残している。

125 最勝寺:上杉氏再建による寺。

126 熊野神社:古くは厚木村の総鎮守社であったと伝えられ、寛元年間に熊野山領であった頃に熊野信仰の拠処となっていた。かつての境内は広く「熊野の森」といわれていた。

127 岡田三島神社:岡田村の人々がこの村を長く守るために岡田鎮守大明神を創建したのが三島神社である。伊豆の三島神社の御祭神大山祇神を勧請した。

128 酒井の道標:酒井バス停付近にあった道標が法雲寺脇に移された。矢倉沢往還と八王寺道の追分であったことを示している。

129 法雲寺:開山は未詳。天正年間にこの地を治めていた山角氏により再興された。本堂には、県の重要文化財指定の平安末期作の不動明王立像が安置されている。

130 愛甲宿の道標:愛甲宿の中程に建つ庚申塔。

131 愛甲坂の不動尊:大山道と日向道の分岐を示す道標。

132 浄心寺:天正2年(1574年)相誉上人周貞が開山。本尊は南北朝時代作の阿弥陀如来を中尊とする三尊像。

133 白金地蔵:大山街道と萩野道との三差路に建つ。万延元年(1860年)地元の茂田半左エ門が子宝に恵まれなかったので子育て地蔵として建立した。

134 糟屋宿:江戸より15里、柏尾通り大山道と大山道が合流する下糟屋にあり、人馬の継立が行われていた。旧大山街道は糟屋宿の北側のルートをとっていた。

135 せきどめ地蔵:この咳止め地蔵に願をかけるときには、初めに泥の団子をこねて供え、「咳の病気が治った時は本当のお米の団子をお供えします」とお祈りし。治った時は本物の団子を持ってお礼参りをした。

《参考文献》

  大山街道・R246地域間ネットワーク交流会 編集・発行:『大山街道ウォークマップ』(事務局:国土交通省川崎国道事務所)

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