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旧街道ウォーク320  大山街道(矢倉沢往還) その5 (江田〜長津田宿〜南町田)

日 時■ 2007年5月13日(日) 11時〜17時頃

集 合■ 東急田園都市線江田駅西口駅前広場
コース■ 江田駅〜市ヶ尾<昼食>〜青葉台〜長津田宿〜すずかけ台〜南町田(国道16号・一里塚)(街道ルート約10km)
その他■ 小雨決行、大雨の場合は5月19日(土)に順延します。判断がつかない場合は、主催者までご連絡下さい。
連絡先■ 大竹 亮(旧街道ウォーク代表、NPO全国街道交流会議理事)       谷貝 等(今回主催)

《今回の見どころ》
 今回は江田駅から長津田宿を経由して南町田(国道16号・一里塚)まで歩きます。帰りはグランベリーモールを経由して田園都市線南町田駅(土休日急行停車)が利用できます。
 今回の区間では、東急田園都市線に沿って丘陵地上に宅地開発が進むとともに、国道246号線の整備により、大山街道のルートは消失している区間が多くを占めます。古い地形図のルートを参照しながら、旧街道ルートを想定して辿るのが今回のテーマです。
 荏田北地区、柿の木台地区、青葉台地区、恩田地区、つくし野周辺地区を中心にルートがわからなくなっています。前回の活動で新規開発地区内に他の建物と建つ方向が異なる農家があり街道沿いにあったのではないかと考えられるように、大山街道ルートの手がかりとなるメルクマールを探しながら歩きたいと思います。

《地図番号と解説》

72 荏田北地区:大山街道ルートと想定する区間。丘陵を登り鶴見川の谷に降りる。
73 市ヶ尾竹下地蔵堂:本尊は延命地蔵尊。江戸中期頃の建立。統誉上人(宝暦元・1751年墓碑銘)即身仏の伝承がある。
74 猿田坂:現在地蔵堂にある庚申塔等が所在していた。「猿」は「去る」に通じるとし、嫁入行列はこの坂の通行を避けたとされる。
75 旅籠綿屋:大山街道(猿田坂下)と日野往還の交差点にあり、明治15年頃の建築で2階が客室。客を「綿のように暖かく」の意で明治末まで営業。斜め向かいの角に茶屋兼旅籠石橋屋及び小石橋屋(明治15年消失)があった。
76 川間橋(三文橋):三文の渡り賃(橋銭)をとったことから「三文橋」ともいわれ、現在の橋よりやや下流にあった。北斎の浮世絵・大山道にも描かれている。
77   大難の辻:急な坂道で大雨が降ると土砂崩れが起きた田畑も土砂に埋没した。
78    田中屋:三代将軍・徳川家光を治療したと伝えるマムシ治療薬を販売。
79 一里榎:樹齢600年の横浜市指定銘木。昭和47年に区画整理により移植。
80 医薬神社:医王山薬王院東光寺(真言宗)が明治初年改宗。区画整理で現在地に移設。
81 柿の木台地区:区画整理前は、大難の辻から真っ直ぐ丘陵を登り藤ケ丘方面(国道246号アクセス道)に降りていたものと考えられる。
82 青葉台地区:国道246号の整備により、蛇行している大山街道ルートが消失している。青葉台駅周辺の河川を渡る低地区間のみ旧道ルートが残されている。
83 恩田地区:恩田川に向けて丘陵地から坂を降りる旧街道ルートが一部残されている。
84 石塔坂・道祖神
85 恩田茶屋跡:渡辺崋山の「遊相日記」に登場する。
86 片町地蔵堂
87 下宿常夜灯:常夜灯(道祖神、文化14年(1817年)銘)、宿内大山講の建立。その他、馬頭観音、庚申塔、地蔵、弁財天等。道路拡幅により向いに移転予定。
88 上宿常夜灯:大石神社山道女坂に天保14年(1843年)宿内の秋葉講中が建立。地神塔は天保13年(1842年)建立で昭和62年に現在地に移転。
89 大石神社:祭神・神明神・稲荷神。王子神社と共に長津田鎮守。祭神は在原業平と伝えられ、神体・大石が在原業平の化身ともされる。
90 つくしの地区:これまでの区間で唯一の未舗装区間が残されている。大山街道ルートは、国道246号に向かう上り坂の途中を左に急坂を上り、国道246号を地下道で渡り左から国道246号に合流するルートとも考えられる。
91 馬の背:地形が馬の背に似ていて左右が低くなっていたことから名づけられた。進行方向左下には国道246号、右下には東急田園都市線が走り、西北の町田方面の景色が良く見える。
92 道祖神
93 一里塚(通称大塚):高さ5m程の塚の上に御獄信仰の石祠がある。明治中期に火難・盗難除を祈るため奥多摩の御獄講を作り祭りを行ってきた。

《参考文献》
大山街道・R246地域間ネットワーク交流会 編集・発行:『大山街道ウォークマップ』(事務局:国土交通省川崎国道事務所)

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