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旧街道ウォーク318

大山街道(矢倉沢往還) その3 (三軒茶屋〜桜新町〜溝口)

日 時■ 2007年3月17日(土) 11時〜17時頃

集 合■ キャロットタワー3F「生活工房ギャラリー」
(東急田園都市線・世田谷線三軒茶屋駅下車直結)に午前11時集合
     写真展「玉電時代、あの頃の風景」開催中(集合時間まで各自ご覧ください)

コース■ 三軒茶屋〜中里(旧道)〜桜新町 <昼食>〜用賀〜瀬田(善行寺線経由)〜二子の渡し跡〜溝口・二子宿〜溝口(街道ルート約9km)

その他■ 小雨決行、大雨の場合は翌日(3月18日(日))に順延します。判断がつかない場合は、主催者までご連絡下さい。

連絡先■ 大竹 亮(旧街道ウォーク代表、NPO全国街道交流会議理事)     谷貝 等(今回主催)

《今回の見どころ》
 前回は三軒茶屋から多摩川まで大山街道の旧道ルートを歩きましたが、今回は、三軒茶屋から国道246号に沿った新道ルートを通り多摩川を渡って溝口まで歩きます。この新道ルートは、昭和44年に廃止になった玉電ルート跡を概ね辿ることになります。玉電は、玉川の砂利を運ぶことを目的に1907年(明治40年)渋谷〜玉川間が開通し、今年で丁度100年を迎えます。出発前に写真展「玉電時代、あの頃の風景」を見た後、玉電の走った跡が現在の町並み形成にどのように関わったか、またどのように残されているかを確認していきたいと思います。
 前回の活動と合わせて、矢倉沢往還の交通路が、尾根を辿った旧道からより近道である蛇崩川を渡る今回歩く新道に移り、さらに国道246号は呑川の谷を越える短絡ルートをとってきた変遷が実感できるのではないでしょうか。
 溝口・二子宿は、国道246号と玉電がそれぞれ南北に離れて通ったことから、比較的往時の面影が残されています。途中、川崎市大山街道ふるさと館に立ち寄ります。


《地図番号と解説》
35 中里通り(旧道):旧道区間には、伊勢丸稲荷神社がある。看板建築の商店や出桁造の歴史的建築物が残る商店街が残っている。この区間の現国道246号のルートは、当初玉電ルートとして一直線に引かれたもので、後に道路として拡幅したものである。
36 蛇崩川緑道:中目黒付近で目黒川に合流する蛇崩川の緑道。名前の由来は蛇が崩れるほど急な谷であったことによると云われている。源頼朝が1189年奥州征伐に向かう途中、蛇崩川付近(五本木近くの鎌倉街道)であし毛の馬が暴れ出して川の深みにはまって死んだことから、頼朝がここは馬を引いて渡るように指示したことが馬引沢村の由来となり、その後上馬引沢村・下馬引沢村等に別れ現在の上馬・下馬の地名に引き継がれている。頼朝は不吉を払って戦勝を祈願するため近くの子の神に詣で、その時に馬を繋いだ松が駒繋松、子の神が駒繋神社で、死んだあし毛の馬の芦毛塚と足毛橋の名前が残されている。
37 宗円寺:鎌倉時代後期に北条左近太郎入道成願により開基されたと云われる駒留八幡神社の別当寺。区内で最も古いと云われる庚申塔がある。
38 善養院:1616年に開基された豪徳寺の末寺。
39 サザエさん通り:桜新町駅前から「サザエさん」の作者である長谷川町子が居住していた跡地に建てられた「長谷川町子美術館」に向かう通り。
24 大山街道追分:三軒茶屋で別れた大山街道が合流する。
24 用賀商店街と鎌田酒店:賑やかな用賀商店街となり用賀駅前を経由する。鎌田酒店は蔵が残されている。
25 真福寺:小田原北条氏家臣飯田図書が開基したと伝えられる。大山街道に面した山門が朱塗りだった為、赤門寺とも言われた。近年山号が喩伽(ようが)山と改められた。
26 延命地蔵:大山街道は慈眼寺線(旧道)と行善寺線(新道)に分かれる。この延命地蔵は、1777年に用賀村の女念佛講中が建てたものといわれている。
40 瀬田夕日坂:国分寺崖線上からの景色は素晴しく、瀬田夕日坂と名づけられている。
41 行善寺:小田原北条市の家臣長崎隠岐守重高がこの地に帰農し菩提寺をここに移した。境内からの眺めは、行善寺八景(玉川八景)「瀬田黄稲、岡本紅葉、大蔵夜雨、登戸晩鐘、富士晴雪、川辺夕畑、吉沢暁月、二子帰帆」として版画に描かれている。
42 道標:六郷用水脇に建てられた道標。
43 二子の渡し:瀬田村にあった2つの発着所の一つで大正14年二子橋の完成でその役目を終えた。
44 二子の渡し場入口:川崎側の二子の渡し場入口、レリーフが残されている。
45 二子神社と岡本かの子文学碑:昭和37年丹下健三の設計により二子神社に建てられた。岡本太郎作の「誇り」が建てられている。
46 大貫家(大貫病院)跡:岡本かの子、岡本太郎の生家の病院跡。
47 光明寺:1641年二子本村から矢倉沢往還筋に移った。二子村名主大貫家の菩提寺。「時の鐘」が往還筋に時を告げた。
48 飯島商店と大釜:大釜は宣伝用に作成され、NHK大河ドラマ「黄金の日々」で石川五右衛門が釜茹でにされるシーンの撮影に使われた。
49 タナカヤ呉服店:明治44年に建てられた「蔵造り」の建物。
50 灰吹屋:200年以上も前から続く薬屋で、土蔵は明治時代に建てられたもので昭和35年までお店として使われていた。
51 大山街道ふるさと館:川崎市の公共施設。1F展示室では、大山街道の歴史、溝口周辺の歴史等が展示されている。
52 二ケ領用水:多摩川の河道がほぼ現在の位置に固定された後、小泉次太夫が稲城・川崎二領の灌漑用水開発奉行に登用され二カ領用水の灌漑がはじまった。上流には久地円筒分水が残る。
53 溝口神社:溝口村総鎮守で、明治の廃仏毀釈で宗隆寺と別れ溝口神社となった。
54 宗隆寺:古くは天台宗、500年前に日蓮宗興林寺宗隆寺に改めお会式で有名。
55 庚申塔:片町の四つ角に立つ道標を兼ねた庚申塔で、大山街道の宿場から横浜方面への出発点。

※印:前回(その2)と重複


《参考文献》
芳賀善次郎:『旧鎌倉街道・探索の旅 −中道編−』、さきたま出版会
岩垣顕:『江戸・東京文庫H 歩いて楽しむ 江戸東京旧街道めぐり』、街と暮らし社
大山街道・R246地域間ネットワーク交流会 編集・発行:『大山街道ウォークマップ』(事務局:国土交通省川崎国道事務所)
せたがや道楽会:『江戸時代後期の世田谷 大山道周り鳥目絵図』、かみまち世田谷風景じゅく

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