旧街道ウォーク317
大山街道(矢倉沢往還) その2 (三軒茶屋〜世田谷上町〜二子玉川)
日 時■ 2007年2月24日(土) 11時〜17時頃
集 合■ 東急田園都市線三軒茶屋駅改札前 11:00集合
コース■ 三軒茶屋〜松陰神社〜世田谷上町(世田谷代官屋敷・郷土資料館) <昼食> 世田谷城跡・豪徳寺〜矢倉沢往還古道(馬事公苑)〜世田谷上町〜用賀〜瀬田〜(慈眼寺線経由)〜二子玉川(兵庫島公園) (街道ルート約7km)
その他■ 小雨決行、大雨の場合は翌日(25日(日))に順延します。判断がつかない場合は、主催者までご連絡下さい。
連絡先■ 大竹 亮(旧街道ウォーク代表、NPO全国街道交流会議理事) 谷貝 等(今回主催)
《今回の見どころ》
今回は、国道246号を離れて三軒茶屋から多摩川(兵庫島公園)までの大山街道の旧道を歩きます。現在は、国道ならびに高速鉄道のルートから外れてしまっていますが、現在の上町付近は世田谷城の城下町として栄え、また大山街道の沿道には多くの神社仏閣等の歴史的文化財が残されています。
今回は、こうした歴史的文化財を巡り世田谷の歴史を体感したいと思います。世田谷代官屋敷と資料館は、時間をとってゆっくり見学したいと思います。
《地図番号と解説》
13 目青不動(教学院):江戸五色不動(目黒不動(滝泉寺)、目白不動(金乗院)、目赤不動(南谷寺)、目青不動(教学院)、目黄(永久時・最勝寺))の一つ。1311年江戸城内に創立されたが、麹町、青山を経由し1632年現在地に移された。小田原大久保氏の菩提寺。
14 駒留八幡神社:鎌倉時代後期の1308年にその地域の領主北条左近太郎入道成願により創建されたといわれる。
15 松陰神社:吉田松陰の刑死後、門下生であった高杉晋作、伊藤博文らによって長州毛利藩藩主毛利大膳大夫別邸のあったこの地に墓が改葬され、明治15年に門下生が社を築いた。現在の社殿は昭和3年築。
16 円光寺:世田谷城城主の吉良氏により創立された。
17 世田谷代官屋敷・郷土資料館:江戸時代彦根藩世田谷領の代官を代々務めた大場家住宅で昭和27年東京都史跡、昭和53年主屋と表門が国の重要文化財に指定された。敷地内に世田谷区立の郷土資料館が建設され、世田谷の歴史を学ぶことができる。
18 世田谷城跡:南北朝時代、鎌倉幕府の防備として足利一族の吉良治家が築城したとされ、吉良氏は吉良殿様、世田谷御所様などと呼ばれていた。1590年吉良氏は豊臣軍に世田谷城を明け渡した。現在は、城跡が公園として残る。
19 豪徳寺:1633年彦根藩主井伊直孝が井伊氏の菩提寺として創建した。井伊直弼の墓(東京都指定史跡)がある。招き猫の発祥の地とされる。
20 道標:大山道と登戸道との分岐の道標。
21 矢倉沢往還古道:尾根筋を通り用賀方面に向かう矢倉沢往還の古道と考えられるルート。馬事公苑から用賀にかけては開発により道は残されていない。
22 旅人の像:蛇崩川の源流で児童公園が開設された時に旅人増が建てられた。
23 馬頭観音像
24 大山街道追分:三軒茶屋で別れた大山街道が合流する。
24 用賀商店街と鎌田酒店:賑やかな用賀商店街となり用賀駅前を経由する。鎌田酒店は蔵が残されている。
25 真福寺:小田原北条氏家臣飯田図書が開基したと伝えられる。大山街道に面した山門が朱塗りだった為、赤門寺とも言われた。近年山号が喩伽(ようが)山と改められた。
26 延命地蔵:大山街道は慈眼寺線(旧道)と行善寺線(新道)に分かれる。この延命地蔵は、1777年に用賀村の女念佛講中が建てたものといわれている。
27 大空閣寺:大正天皇の即位を記念して深川に建立され、平塚を経て大正10年に子の地に移転した。虚空蔵菩薩を祀っている。
28 慈眼寺・瀬田玉川神社:1306年法印定音の開山と伝えられ、もとは崖下にあった修験所を瀬田の郷士長崎家が崖上に移し長崎家の祈願所とした。瀬田玉川神社は、1559年長崎家により社殿造営といわれている。
29 国分寺崖線:大山街道はここで急な崖を下る。平坦な武蔵野台地(M面)を玉川が下刻した急峻な崖で、多摩川に沿って国分寺付近からはじまり下流に向けて次第に比高が高くなっており国分寺崖線と呼ばれている。
30 身延山別院玉川寺:日暮里にあった妙隆寺がこの地に移り寺号を改めた。
31 玉川大師:弘法大師を祀る大師堂であるが、地下に遍照金剛殿と呼ばれる地下霊場がある。一般見学可能(100円)。
32 六郷用水:六郷領の灌漑用水として1609年に完成した用水路。狛江付近で多摩川から分岐し下丸子付近で二つに分岐していた。次太夫掘、世田谷区から田園調布付近までは丸子川とも呼ばれている。
33 玉電砧線軌道跡:大正13年、二子玉川園から砧本村まで多摩川の砂利の運搬のために開通した玉電の支線で、昭和44年5年廃止された。
34 兵庫島公園:野川が多摩川に合流する地点にある島。旧大山街道はこの辺りで多摩川を渡っていたと考えられる。
※前回の追加
9 高橋是清記念公園:日銀総裁、大蔵大臣、総理大臣等の要職を歴任し、2.26事件(1936年)で自宅にて暗殺された高橋是清の屋敷地跡。
10 梅窓院:「青山」の地名の由来となった徳川家家臣美濃郡上八幡の青山氏の菩提寺で、領主青山幸成の法号に因み「梅窓院」の名称がつけられた。
11 善光寺:徳川家康の帰依により1611年谷中に長野善光寺の一光尊阿弥陀如来の分身を祀ったのをはじめとし、信州善光寺大本願上人兼帯所と称した。1703年類焼により現在地に移転した。
12 宮益坂と御嶽神社:渋谷川の谷に下りるこの坂は富士見坂と呼ばれていたが、御嶽神社のご利益を願い宮益坂と呼ばれるようになったとも言われている。
《参考文献》
○芳賀善次郎:『旧鎌倉街道・探索の旅 −中道編−』、さきたま出版会
○岩垣顕:『江戸・東京文庫H 歩いて楽しむ 江戸東京旧街道めぐり』、街と暮らし社
○大山街道・R246地域間ネットワーク交流会 編集・発行:『大山街道ウォークマップ』(事務局:国土交通省川崎国道事務所)
せたがや道楽会:『江戸時代後期の世田谷 大山道周り鳥目絵図』、かみまち世田谷風景じゅく