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旧街道ウォーク312★日光御成道[その5]「さぎ山記念公園〜岩槻宿」活動報告

【日時・天候】2006923日(土・祝)12:4017:20 晴れ時々曇り
【コ ス】 さぎ山記念公園→膝子→満蔵寺→加倉→市宿通り→岩槻宿(約6km
【参 者】 岩田清、大竹亮、梶川義実、片桐拓朗、加藤伸子、城戸靖彦、児山文一清水俊哉、高梨健一、千川明、長澤純一、橋本修、谷貝等、山川紀子、山根純一、脇野真澄、古里実(17名)

【概況説明】
 日光御成街道/第5回は、晴天の中、さぎ山記念公園から岩槻宿までを歩きました。当日は集合場所へのバスが大渋滞に巻き込まれ、スタートが1時間遅れてしまいました。広大な見沼田圃と見沼代用水を左手に見ながら、光徳寺、膝子の一里塚、満蔵寺に立ち寄り、またJA直売店での買物などを経て、馬蹄形の坂道を上り岩槻城下(岩槻宿)へ。岩槻宿へ入ってからは、浄国寺、景観協定が締結されている市宿通りを通って岩槻藩遷喬館へ。ほとんど閉館時刻であったにもかかわらず、案内係の方が熱心な解説をして下さいました。その後訪ねた鈴木酒造は、祝日店休日であり残念な思いをしました。予定していた岩槻城下町の散策は、出発の遅れがひびき時間切れとなってしまいましたが、次回のオプション企画で巡る予定です。

←光徳寺

【評価結果】
 今回のコースは、ほとんど2車線道路であり、歩道は大部分の区間あるものの、幅が狭い部分も多く安全性の評価(1.83)や快適性の評価(2.17)が低くなりました。しかし、沿道に自然や魅力ある寺社が多くあり、特に岩槻城下町では、好印象の史跡や建物、街並みの評価が集まり、総合評価は相対的に高く(3.00)なりました。御成街道を生かした今後の街並み形成を期待します。

【参加者の評価結果】
1.◆安全性(危険を感じないで歩けるか) 評価(1.83) 内訳BBBBBCCCCCCD
B:特に危険に感じたところは無かったと思います。Aに近いB。
B:今回はあまり危険を感じなかった。
B:一部歩道のない箇所があったが概ね問題なし。
B:一部歩道のない区間があって危険を感じた。
B:多くの区間では狭いながらも歩道があり、最低限の安全性が確保されている。現在は歩道がない岩槻市街西部(市宿通り)では、町並み整備と合わせた道路拡幅事業が進んでいる。
C:ほぼ全区間で歩道または歩行者スペースがあった。従来の旧街道区間に比べればましな方か。
C:歩道のないところがあり、歩道のある箇所でも歩道の幅の狭いところが多く、あまり安全ではない。しかし、地方の一般道としてはあんなものでしょう。
C:一部区間に歩道が無かった
C:車中心で、歩道が狭い
C:交通量が少なければよかったが。
C:東宮下付近に歩道のない登り坂有り。

D:一部歩道がない区間も存在し危険を感じた。

2.◆快適性(気持ちよく歩けるか) 評価(2.17) 内訳ABBBBBCCCCCC
A:全般的に良かったと思います。
B:道路も比較的広く、ほぼ快適に歩けた。
B:沿道の農村集落は生け垣等の手入れも良く、緑豊かであった。

B:車が多い
B:車の通行量が多い。脇に魅力的で快適そうな道があってうらやましい。(そっちを歩きたい、という意味)
B:
C:車中心の道。
C:自動車に気を使った。
C:自動車の交通量が多く、あまり快適ではない。
C:車の交通量が多く道路の反対側に渡るのが大変だった。
C:多い車の通りと狭い歩道で、あまり快適とは言い難い。街道から自然や歴史を直に感じられるところが少ない(見沼代用水など資源は多いのだが、街道端に現れていない)。
C:歩行空間が狭く、沿道が建て込んでいるのであまり快適ではなかった。

3.◆沿道の魅力(立ち寄りたい場所が多いか) 評価(2.33) 内訳ABBBBBBCCCCC

A:見所も多く興味深い古刹も多く、市内に入って家並みを考えた街づくりにも共感できた。
B:寺院のほか、畑や公園もあり、まずまず。
B:街道を併走する見沼代用水東縁の風景は大切にしたい。
B:岩槻城下に入るまでは、特段のものはなかった。城下には歴史性を感じられる寺院や遺構など、思いの外面白かった。
B:岩槻市内に入ってからは、見所が多い。
B:岩槻市内には見るところが多く歴史を感じた
B:今回は今までに比べて少なかったように思うが、それでもすぐ近くを見沼代用水が滔々と流れ、岩槻城下町には造り酒屋や藩校(遷喬館)が残り、味わい深い。
C:岩槻の時間が余りなかった。
C:見沼田圃の景観が素晴らしいが、街道からはよく見えなかった。
C:岩槻城下町は少ししか見学出来なかったので、立ち寄れた場所は少なかった。
C:
C:

4.◆総合評価 評価(3.00) 内訳ABBBBBBBBBBC
A:地方の街づくりの一つの形かもしれない。真剣に街づくりに取り組んでいる様子が窺える。
B:好天に恵まれ気分よく歩けた。
B:旧街道としては、平均的ではないか。
B:街道+岩槻の街並を楽しむことができました。
B:見沼代用水沿いの道と併せて膝子の一里塚付近の街道を歴史をたどる道として整備、情報発信してはと感じた。
B:岩槻の時間が余りなかったこともありインパクトに欠ける。
B:遷喬館は良かったが、今回は全体に立ち寄れた場所が少なかった。
B:岩槻市内は比較的立ち寄りたいところがあって、まあまあよかった。市宿通りの自主ルールによる景観形成に期待したい。
B:道中は千葉の旧街道と同じで、道路整備の遅れを示しており、歩く魅力はなかったが、城下に入りほっとした。
B:東京近郊にしては、乱開発されずに自然や農村景観が保全されているようだ。旧街道を歩きながら、見沼代用水の恵みと岩槻城下町の繁栄に思いを馳せることができた。
B:旧道よりも、前回オプションで歩いた見沼代用水東縁の方が気持ち良く歩けたことが、ある意味、残念である。
C:神社仏閣等の歴史性は感じるが、歩行空間と景観があまり良くなく魅力に乏しい。

5.◆特に印象に残った箇所とその理由(いくつでも)
○見沼代用水縁の彼岸花:黄金色の稲穂に映える朱色が鮮やか。どこでも彼岸に咲くのは不思議。
○膝子一里塚:塚が残っている。

○膝子の一里塚:立派な一里塚が残っていた。
○膝子集落沿道:農家の生け垣が手入れされて美しい。
○満蔵寺の金木犀:大木で甘い香りが心地よかった。
○満蔵寺の円空仏:ここにも円空上人の足跡があった。羽島生誕説が明記されて感激。
○満蔵寺の金木犀:あれだけ大きな金木犀は初めて見た。
○満蔵寺の板石塔婆
○岩槻IC近くのうどん屋:店は古民家(風?)で、入口や奥の間の生け花も好印象。ざるうどんが美味しかったです。(街道と直接関係ない話題ですみません)
○昼食のうどんや:古民家を移築し、静かで雰囲気があるお店。味も抜群。
○岩槻城下入口馬坂の馬蹄形曲り:理由を巡って議論百出。
○街道が馬蹄形に曲がる区間:現在はゆるやかな傾斜であるが、当時は比高10m程度の急崖ではなかったかと想定される。過去の地形と土地利用を想定することは興味深い。
○岩槻市街へ上る迂回した旧道:何となく不自然。もっと理由を知りたい。
○岩槻城下への入り口のU字路:尾根筋から城下の間の氾濫原を越えて城下に入る苦労が忍ばれた。
○旧街道の湾曲点:東北道付近の崖地で旧道が大きく迂回、湾曲しているが、その理由が謎だった。地形、軍事、施設等の諸説がでたが、決定打がない。
○浄国寺:岩槻藩主阿部定高の立派な墓の横に佇む殉死した小姓の墓が哀れ。

○浄国寺

○浄国寺:岩槻藩主、阿部氏の墓所の緑が深い。
○市宿通り:よく整備されている。
 

 
○市宿通り:住民の規範による建て替え、街並み形成に期待。

○岩槻郷土資料館:歴史的建物を生かし、質素だが必要十分な展示をしている。
○新築された陶器販売のお店:道路に面する前庭の処理や、建物のデザインが非常に優れていた。
○遷喬館:「岩槻に過ぎたるもの」児玉南柯の熱意に敬服。
○遷喬館:全国的にも現存する藩校は少なく、貴重なその一つを見学出来、またお話しを聞けたのは意義深かった。
○遷喬館:親切で丁寧でしかも楽しそうな解説をしてくれて、郷土に対する愛情を感じた。
○岩槻藩遷喬館

6.街道らしさを感じた箇所とその理由(いくつでも)
○膝子一里塚:塚が残っている。
○膝子の一里塚:両側にあればなお良かったが。
○膝子の一里塚
○膝子の一里塚:小さくなっても塚がちゃんとあるのが印象的。
○東宮下付近で分かれて狭くなった旧道:道の雰囲気が旧道らしい。
○現在の幹線道路から右に折れる旧街道の入口(2箇所):道路幅員など旧道の風情が残されていた。
○城下町に入る手前で大きく迂回しているところ:直接大手門などに来られないよう工夫してあるところが多い。そういう配慮かなと思いました。
○岩槻の街並:町中の商家や裏小路のたたずまい。
○岩槻市街(市宿通り):街道に沿って古い商家が並んでいる。道路拡幅で建て替えられつつあるが、住民主導で建築ルールを作って品格あるまち町並みづくりを進めている。 

7.◆最も江戸を感じた箇所とその理由(1つだけ)
○満蔵寺の板石塔婆:非常に珍しいものだと思いました。先人たちの先祖に対する思いを強く感じました。
○岩槻市内の町並み:商家の町並の面影が残されていた。
岩槻城下の町割り:街路の呼び方で武家と町人の住まいが違うところ。仙台も丁と町で使い分けていた。
○遷喬館:刀の切り傷も残り、江戸時代の教育の様子を想像できる。

○遷喬館:建物もよい。当時の説明がよかった。
○遷喬館の柱の刀傷:帯刀していた江戸時代の名残が印象的であった。
○岩槻藩遷喬館:今回は公開されていた内部を見学できて有意義だった。
○岩槻藩遷喬館:案内の方の解説が丁寧で良かった。
○遷喬館:江戸時代の藩校がきれいに復元されていた。中で説明を聞きながら休憩できた。
○岩槻藩遷喬館:藩校の建物が保存され、きれいに公開されているのがうれしい(時間延長して説明してもらい感謝!)。当時の学問を想像していると、柱の刀傷が歴史を実証する。

8.◆沿道の歴史文化の表示について(史跡や街道について、適切に解説がありましたか)
○適切に表示、解説がなされていたと思います。
○寺院や遺構、日光御成道の解説がところどころにあり。
  
○要所要所に解説があり、わかりやすかった。
○岩槻区内にはそれなりにあったように思う。
○ところどころに、大宮岩槻地区の史跡案内板があった。欲を言えば、道しるべのような物があればいいのだが。
○意外と整備されていたが、文字がかすれているものがあるなど、維持管理上の課題あり。
○看板に消えかかっているのがあった。
○あまり無かった。
○街道からは外れるけど、見沼田圃です。谷合に広がる黄色に色づいた稲穂とその周囲の里山ののどかで豊かな景色に見とれました。

9.◆今回の企画についての感想など(自由記入)
○埼玉スタジアムでのサッカーの試合に伴う交通渋滞にバスが巻き込まれスタートが1時間以上も遅れるというハプニングがあったのは残念だった。古里さんのいつもながらの綿密な下調べに感謝。(J.N)
○最初は単調な区間であったが、岩槻市内は、街のあちこちに歴史的遺産が残されており、これらを発掘するとなかなか面白いように思えた。(H.Y)
○今回最後に尋ねた岩槻藩遷喬館で、説明を聞く事ができて大変良かったと思います。(K.I)
○寺院や石碑はあったが、お店がほとんどなく残念。(みんな近所で買い物をしないのでしょう) 旧岩槻市街は人形の街だけあって、人形店がたくさんありましたが、人形の季節以外はどうしているのでしょう。(T.K)
○岩槻城址まで見学出来なかったのは残念であるが、これは仕方がないこと。次回が楽しみです。御成街道が「何故コの字型に折れ曲がっていたのか」に関して、多くの方のご意見が聞けたのは大変良かった。幹事さん、有難うございました。(O.H)
○集合場所までのバスの遅延と渋滞で出鼻を挫かれましたが、良いペースで気持ちよく歩けました。どうもありがとうございました。(M.W)
○沿道随所でキンモクセイの香る中、快適なウォーキングが楽しめました。コーディネーター様お疲れ様でした。(J.Y)
○比較的一般的な旧街道かな、という印象でした。特にすごい名刹があるわけでもなく、市街地もかつての城の敷地はほとんどすべて売り払われてしまい、それほど雰囲気も残っていませんでした。ただし、やはり旧街道を歩くというのは、ただ単にいにしえを懐かしむのではなく、現在の姿を冷静に分析し、次につなげるものを導き出すことも重要なことのひとつなんだということを再認識しました。(T.S)
○岩槻は期待していなかったが、徳川にとって重要な城であったことが解った。岩槻区になったことが、どう影響するのか見守りたい。街道は、歩き続けることに意味があると思った。(Y.K)
○今回は、Jリーグ開催に伴う道路混雑という伏兵にやられてしまいましたが、何とか岩槻城下町にたどり着き、郷土資料館や藩校遷喬館で歴史を学び、建物を味わうことができました。かつて当会では、鎌倉街道中道から岩槻城下に入りましたが(1989226日)、今回は日光御成道で17年ぶりに岩槻宿に入ったのは感無量でした。この先は未踏の地ですが、引き続きがんばりましょう!(R.O)

主催者より
 郷土資料館や遷喬館の開館時間内に間に合ってほっとしました。城下町に入る馬蹄形の道筋をたどりながら、あれこれ推理するのは楽しいですね。川越街道の時もそうでしたが、城下町に入る坂道はワクワク感があります。次回は、その城下町を廻る早めのオプションも用意しますので、奮ってご参加ください。(古里実)
←見沼代用水東縁の遊歩道での集合写真です。
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